何となく




何となく、気が滅入って。
何となく、気分転換の外出をしていた。
何となく、喉が渇いて。
何となく、その喫茶店に入って。
何となく、カウンターの端っこを選んだ。

店内は、余りお客さんがいなくて閑散としている。
柔らかな物腰のマスターらしい人が「いらっしゃいませ」と言った。
余り明るすぎない店内は、暗すぎもせず、窓際では観賞用の植物の葉が光を反射している。
何となく、今日は珈琲が飲みたい気分で、ブルーマウンテンを選んだ。
特に理由はない、それがよく聞く名前だったから。

フラスコの中の水が沸いて、それが上のフラスコのほうに吸い込まれていく。
かすかに聞こえるこぽこぽという音が何だか妙に耳に優しかった。
お湯が全部上に一旦上って、珈琲がしたのフラスコに落ちてくる。
全部落ちるのを見計らって、マスターはそのフラスコを器械から慣れた手つきで外した。
ほわりと漂う珈琲の香りが何だかやけに感傷的な気分にさせた。

一人、女のお客さんが入ってきて、少し離れた場所に座った。
マスターは注文を聞くより先にポットを温めはじめる。常連なんだろうか。
こっちの視線に気付いたのか、女の人はこちらを見た。
慌てて目を逸らしたけど、バレバレで、女の人は少し笑ったようだった。
実際に見たわけではいないけれど、何となく、そんな雰囲気がした。

珈琲は苦味と酸味が程よくて、とても美味しい。
あまり珈琲の味なんて分からないけど、今日は何だかとても美味しく感じた。
そもそも、珈琲なんてめったに飲まないのだけど。
少し、息を吐くと何だか少し体が軽くなったように感じた。
何となく、なのだけど。

ことりとケーキが出されて、思わずマスターの顔をじっと見る。
「彼女からです」と数席向こうの女の人に目を向ける。
そちらを向くとにっこりと女の人が笑って、それに小さく会釈で返した。
折角だから戴こうと思って、フォークを手にする。
小さめに切ったケーキは、口の中でやさしい甘さだった。

「元気がない時は、やっぱりマスターの入れる紅茶とケーキがいいわ。」
数席向こうの彼女は、同じケーキをつつきながら、マスターに笑いかけた。
「恐れ入ります」とマスターは嬉しそうに笑った。
何だか、少し慣れた空気は、何となく、気分を良くさせた。
此処は居心地がいい。

マスターは、たまに来るお客さんの接客をしつつ、常連の女の人の話を聞いてる。
そんな様子を、やっぱり何となく眺めている。
気付いたら結構時間が経っていて、珈琲は大分冷めていた。
何となく、もう少しここにいたい気がして、追加のお茶を頼もうか迷う。
けれど、マスターと目があったから、何となく女の人のお茶と同じのを、と頼んだ。

何で今日はこんなに、気が滅入っていたのだろう。
やさしい香りと味の紅茶を飲んで、ふとそう思った。
原因はひとつじゃないし、何ひとつ解決できるほど、多分強くはない。
また流されるかもしれないけど、それもまた自分で。
ああ、それでいいのか、と何となく納得した。

数席離れた女の人が席を立った。
少し勇気を出して「ケーキをご馳走様」と声をかけた。
彼女は少し目を見開いて、それから笑って「元気出た?」と答えた。
人から見てありありと分かるほど、元気がなかったんだろうか。少し、恥ずかしかった。
けれど、それにはちゃんと頷くと「良かった」と彼女は笑った。

何となく、気が滅入っていたけど浮上してきた。
何となく、どうにかなるって思える。
何となく、店を出て空を見たら、夕焼けが綺麗だった。
何となく、明日からも、楽しく過ごせる。
何となく、そんな、幸せな予感の中、帰路についた。