新しい年




「いらっしゃいませ。明けましておめでとう。」
冷え切った空の下歩いてきた体を暖かい空気が包む。
マスターの声におめでとうございます、と返すといつもの席にお水が置かれた。
しゅんしゅんとやかんの音を聞きながらぼーっとする。至福の時間。
いつもの大き目のカップが置かれる前に、ことりと小さなグラスが置かれた。

薄い氷色の液体に少し金箔が入ったそれはお酒のようだった。
「常連さんにだけ振舞ってるお祝いのカクテルです。どうぞ。」
うちは日本酒はあまり置いてないので、と笑って、マスターは調理場を移動する。
そろりと手を伸ばして口をつけると、仄かに温かいそれがとろりと唇を濡らす。
優しい味がマスターの人柄を語るようで笑みが零れる。

「今年はいい年になりそうですか?」
見慣れた柄のカップが置かれて、顔を上げるとマスターが笑ってる。
うーんと唸ると、マスターは手を拭きながらにこにこと俺を眺めていた。
「憑き物が落ちたような表情だったので。」
そう言うマスターには、俺の何が変わったように見えたのだろう。

「…年末に、ちょっとだけいつもと違うことをして。」
本質には触れずに俺は小さく言った。
それでもしっかり聞き取ってくれたらしいマスターは、手を止めて座った。
時折、空いている時はこうして座って話す。
「だからかな、何となくすっきりしてて。」

マスターは一言も喋らずにぽつりぽつりと喋る俺の声を聞いている。
肯定も否定もせず。
それが心地良くて、俺はやっぱり断片的に言葉を零した。
「けれど僕には。そうして流れに従う君も、やはり君なのだと思います。」
静かに話を聴き終えたマスターは、ぽつりとそう言って笑った。

「周りに合わせる事も、時には必要です。」
「貴方が新しい社会の歯車のひとつになって、生きていくには。」
「けれど、そうやって自分を抑え込まずに一歩進むことも勿論大切です。」
「調和を取るのは難しいことですけれど。」
「きっと大丈夫でしょう、流れを見る目を持つということはそういうことです。」

そうぽつりぽつりと珍しい程断片的に言ったマスターの言葉。
俺の上に降り注いで、まるで祝福を受ける信徒のような気分だった。
「迷うのは、若さです、強さです。忘れないで下さい。」
そう締めくくって、マスターはまた新しいお客のためにお湯を沸かし始めた。
俺は何だか不思議な気持ちでそれを眺めていた。

店を出て、寒い街を歩く。
変わるものと、変わらないもの。
けれど、変わらない場所がある安心感に、俺は少し店を振り返った。
踏みしめる毎に近付く変化に畏れずにいる自分に気付いて少し笑う。
新しい年は雪を散らして、新しく世界を染め替えようとしていた。