血溜まりに、女はいた。
臥した屍の中心に立つ赤は、返り血等で穢れたものではなく。
凄艶な程鮮やかに咲いた花の様だ。
女は目を伏せ、祈りとも諦めともつかぬ表情で動かずにいる。
それは哀感かも知れなかった。

ずるり、と屍である筈のひとつが蠢めく。
女はただ運命に殉ずる者にも似た声で呟いた。
「涅槃の鈴が、聞こえたでしょう?」
何かが閃いた気がした。
小さく呻く声があった。
本当に屍と化したソレは、二度と動かなかった。


茜色の空に唄声が混じった。
風は、声を届けるのではなく、殺す為に、吹いている様だった。
けれども、夜を誘う様な甘やかな声は、品の良い黒衣に身を包んだ男に、読んでいた書物から顔を上げさせた。
唄声は遠くはなく、男のよく知る場所から、流れてくる。
愛しい者を見つめる時の様な眼差しで、男は微笑んだ。
誰にも知られぬ様に、密やかに。

「…何をしている?」
不意にかけられた言葉に、女は唄う事を止めた。
「…唄を、謳ってるのよ。私が殺した人と、これから死に逝く者達の為に。」
男は黙って女を見つめた。
「守りたいモノは見付かった?」
女は空を見上げて言った。
「貴女以外を選ぶ気はないと、幾度も言った筈だが。」
男の声は低く、真実だけを伝える重みを宿していた。
女は気にした風もなく笑い、それから、初めて男の目を見つめて言った。
「私だけは選んではいけないと、言った筈だわ。」
「理由を聞かされた事はない。それに…」
言いかけて、男は止まった。
女が、首を傾げるようにして、その後冷たく笑うのを認めたからだ。
男はそれが憤りの表現であると、幼い時の経験から知っていた。
…茜色の空はいつのまにか紺に変わり、月が氷のように冷たい光を放っている。
「…貴方のも私のも、愛にはならない。」
男は、感情の篭らない女の声に、予感の様なものを感じた。
女は、もう見えない太陽の方を見つめて、そして目を伏せた。
「血の匂いがするわ…また戦争が始まる。それが終わったら、私、行くわ。」
男は、掛けるべき言葉を敢えて避けた。
風が、一際強く吹いて。
それを合図にしたのか、女は男の傍をすり抜けようとした。
不意に伸ばされた腕に抱き締められて。
体温を分け合う前に、女は離れた。
「…先に戻るわ。」
まるで儚い夢の様に、女は笑った。

『貴方は貴方の守り方を見付けて。』
全てが終わった夜、走書きを遺して、女は姿を消した。
「そんなものはとうに知っている…」
文字を撫でた男の呟きは、虚空に消えた。