雨の、夜だった。
音もなく落ちてくる冷たい雫の中で、少年は立っていた。
細い体躯はしなやかで、猫科の動物を思わせる。
無表情だがその顔はまだ17、8才といったところか。
「        」
少年は何か呟いた様だった。
しかし、それも雨の雫と闇にまぎれた。

過ごし易い暖かさの部屋で、少年はソファに沈んでいた。
部屋には大量の書物と散らばった紙類が、其処此処となく積まれている。
本箱に入らないものらしい。
しかし、少年はそれらの本に目を向ける事無く、静かに座っていた。
「おや…」
その部屋に、ノックもせず入ってきた人物は、意外そうな声を上げた。
どうやら、此処の部屋の持ち主らしい。

「腕を、直して欲しい。」
少年は無表情に言った。特に訝しむ様子もなく、その人物は頷く。
「珍しいな、怪我をするのは。」
嘲笑にも見える独特の笑い方で、腕を見ながら呟く。
「骨折だけか?」
ちら、と視線を上げて少年の銀眼を覗く。
「あぁ、他に損傷はない。」
機械的に答えた少年に、何か感傷に駆られたような表情を覗かせ、次の瞬間には、興味もなさそうにその部屋の主は窓の外を見やった。
「傷を負うくらいなら、投げ出そうとは思わないのか?」
傷口に指を沈めながら、灰色の眸が問うた。
「契約は、厳守最優先すべき事項だと、貴方が言った。俺はそれに従うだけだ。」
少年の返答を聞いた事を、後悔した。
己の灰色の眸は、いつだって真実を教える。
だから、そう答える事は、分かっていたというのに。
そして、次に継ぐ言葉さえ。
「俺は、貴方の為だけに存在する、貴方だけの物だ。…意思などない。」
無表情に告げられる言葉に、治療の手は止めぬまま、目を伏せて表情を消した。
ただ、淡々と作業を続け、傷一つ残さずに、指は少年から離れた。
「ならば、私を煩わせぬように努力することだ。…しばらく、一人にしてくれ。」
微塵の感情も含めずに、書斎机に腰を下ろして紡がれた言葉に、少年は従順に部屋を出て行った。





「お前に感情がないのは、私の罪の証。お前が私の物でありたいなら、それも良いだろう。しかし、それでも私は、誰かを傷付けると知っても、例えば仮初だとしても、心の在り処を知って欲しい…」





それこそが、創造主の傲慢であると知りながら、小さな影は呟いた。
いつの間にか、雨は、上がっていた。