師走:ウィンターローズ




少女は、クローゼットから今日の為にと住人達が用意してくれた衣類を取り出す。
ふんわりと重ねられた裾に薄い青の繊細なグラデーションが印象的なドレス。
けして主張しすぎない、どんなドレスとも相性が良さそうなオフホワイトのボレロ。
深緑のステッチが美しい白のクラッチバッグ。
シンプルだが上質のサテンを使った手袋。
人形娘はそれらを慣れた様子で受け取り、少女が着ている服を脱ぐのを待った。
人形娘の細い指が手早くコルセットを編み上げる。
さらりと肌触りのいいドレスに袖を通すのを手伝い、ボレロも羽織らせてドレッサーの前へと導く。
「髪はどうしましょう。簡単なものなら私も出来ますけれど。」
櫛を通しながら人形娘が問うと、少女は少し思案するように視線を泳がせた。
「お願いします。」
きっと諸所で髪結いに奔走しているだろう青年を思い、少女は答えた。
人形娘ははい、と答えてドレッサーから使うものを取り出す。
くるくると毛先を巻くと緩くまとめて薔薇を模した髪留めで仕上げた。
「ありがとう。」
少女は人形娘を振り返って笑んだ。
人形娘も、お礼を言われたのが嬉しいのか、はにかんだように微笑む。
「お茶をお持ちしますね。」
金の懐中時計で時間を確かめると人形娘は言った。
少女が頷くのを確認してから、また後で、と言い残して去っていく。
少女はドレッサーの前から立ち上がり、自分の机に座ると、読みかけていた本の続きを読み始めた。
程なく戻った人形娘の淹れた紅茶を楽しんでいると、遠くで鐘の音がする。
「そろそろ時間ですね。」
陽はだいぶ傾いている。
人形娘は使い終わった茶器をワゴンに乗せた。
そしてふと、足元に目をやって、小さく「あ。」と漏らす。
「靴はどうなさるんですか?」
言われて、少女は靴を履き替えていないことに気付いた。
しかしこのドレスに合うような靴があっただろうか。
シューズクローゼットを慌てて開けたところで、靴が突然沸いてきたりはしない。
人形娘もワゴンを脇に避けてシューズクローゼットを一緒に覗き込んだが、ぴったりと合いそうな履物はあいにく見つからなかった。
「どうしましょう…。」
困ったように呟いた少女に、人形娘も困ったように首を傾げた。
他の人に借りようにも、人形娘の頭に記憶されている情報では少女の足に合うサイズの履物を持っている人はいない。
そのタイミングを計ったように、ドアが二度、軽く叩かれた。
とりあえずシューズクローゼットを閉めてドアを開けると、大柄な男が楽礼服を着こなして箱を片手に待っていた。
ドレスを着ている少女に片眉を上げ、足元を確認してから片膝をついた。
「合って良かったな。」
男はそう呟いて、簡単にかけてあったリボンを解き、少女の足下に箱の中身、よく見ればかすかに青みがかった白のエナメル質の靴を置いた。
「ないのをご存知でした?」
誂えたように今日の装いに合う靴に、箱を当然のように預けられた人形娘が尋ねると男は否、と短く返した。
「女は靴とか好きだろ?」
至極単純明快な理由だと言わんばかりに男は言った。
少女と人形娘は顔を見合わせる。
生憎と年中ほぼ同じ型の服を着る人形娘と、目覚めたばかりで漸く普段の生活に慣れたばかりのような少女には無縁の感覚だった。
「気に入らなかったか?」
片膝をついたまま見上げて男はおどけてみせた。
少女達の反応に気を悪くしたわけではなく、屈み際に少女の部屋の奥の窓から参加者達が集まりだしたのが見えての行動だ。
しかし、男の思惑通り、少女は慌てて靴を履こうとする。
靴を気に入らないわけではないという意思表示のために。
ストラップを持って履くのをさりげなく手伝い、ストラップを金具で止めると男は立ち上がった。
洗練された執事のような動きだったが、男の、人から王と呼ばわれる風格を損なわせるものではなかった。
「じゃあ行くか。」
その言葉を合図に、少女は人形娘からクラッチバックを受け取る。
「いってらっしゃいませ。」
人形娘は行儀良く頭を下げて二人を見送った。

既に城の領土に点在する街の人々も集まりだした会場は、パーティ独特の音に溢れていた。
「俺は此処までだな。」
入り口で同じ背格好の男を見留めて、男は少女の背をそちらに軽く押した。
「楽しいクリスマスを。また後でな。」
そう言い残すと、男は悠々と肉食動物を思わせる動きで会場に入っていった。
「よく似合っているな。」
傍に寄ってきた少女に穏やかな微笑を向けて、男はその小さな手を取って歩きだした。
少女ははにかむように微笑みかえし、男に引かれるままに会場に足を向けた。

豪奢なシャンデリアが中央に位置する大広間は、少女が目覚めてから二度程、パーティに使われた。
特にパーティへの参加義務があるわけではないが、住人達は予定が合う限り大抵参加する。
少女もそれを抵抗なく受け入れ、先の二度のパーティにも顔を出した。
だから、そのシャンデリアには見覚えがある筈だった。
しかし、少女の目にはそのシャンデリアが自分の記憶にあるものとは違って見えた。
否、中央のシャンデリアだけではなく、周囲に配された間接照明も何処か記憶とは違っていた。
やや、間を置いて、少女は違和感の正体を知った。
以前は―少女に仕組みは分からないが―仄かにオレンジの光の球が浮いていた照明部分が全てオイルキャンドルに差し替えられていた。
オイルも点された灯もどのような魔法の成果か、様々な色に染まっている。
間接照明は灯を守る硝子の部分も交換されているのか、薔薇が灯の光に浮かび上がっていた。
「綺麗…」
ほう、と零された言葉に手を引く男が慈父のように笑んだ。
中央のシャンデリアは真下から見上げると白薔薇のように配色されていると知れた。
料理などが並ぶテーブルにも薔薇が飾られ、全て、薔薇で埋め尽くされた会場に少女はただただ目を奪われる。
「お気に召しましたか?お嬢さん。」
そう声をかけられ、少女は視線を自分の周囲に戻した。
「城主様はなかなかご紹介してくださらないものですから、イメージだけが先行していないかと気を揉んでおったのですが、杞憂で御座いましたな。」
ロマンスグレーの髪を丁寧に撫でつけ、タキシードに身を包んだ老紳士に、少女は覚えがなく、傍らに立つ男を見上げた。
「全ての街をまとめてくれている〈長〉だ。」
穏やかに、男は教えた。
「初めまして…宜しくお願いします。」
「こちらこそ、今後とも宜しくお願い致します。」
習った通りにドレスの裾を持ち上げて一礼する少女に、老紳士も作法通りの一礼を返した。
「すごく素敵だと思います、冬でも薔薇はこんなに咲くのですね。」
少女は素直に感想を告げた。
「ええ、冬に咲く薔薇は総じて冬薔薇と呼びますが、今年は特に花が多くつきました。貴女がお目覚めになったからかもしれませんな。」
にこにこと老紳士が告げると、冬薔薇の名を持つ少女は頬を薔薇色に染めて面映ゆい笑みを浮かべた。
「さて、年寄りの長話は嫌われますからな、退散致します。それでは、お楽しみ下さい。」
老紳士はそう言い残すと、街の住人達の輪の中に入っていった。
それから、少女の元に次々と街の住人が訪れ、街に親交の深い幾人かの城の住人達と同じように小さな人だかりが出来た。
めまぐるしくかけられる挨拶に焦りながら、それでも一人一人に応える少女に、街の人々は好感を抱いたようだった。
そして、まだ目覚めて間もないと知らされているのか、弁えたように皆、挨拶を済ませた後はあっさりと輪から離れていった。
そして、最後の一人が離れていった頃合いを計ったのか、この度のパーティの主催代表である〈長〉が壇上にあがった。
それに気付いた者はすぐに話を中断し、すぐに会場は静かになった。
「ご静聴有り難うございます。此度は、クリスマスに加えまして、冬薔薇の君の御生誕祝いとお目覚めを祝うパーティということで、会場中に薔薇をあしらっております。話の花だけでなく、どうぞ会場の花も愛でて下さいませ。それでは、これを開幕の言葉とし、乾杯をしたいと思います。乾杯!」
用意されたシャンパンを老紳士が持ち上げると、あちらこちらでグラスを合わせる音がして会場は再びざわめきに包まれた。

「楽しんでいるか?」
皆の話の中心にいると思いきや、意外にも一ヶ所に留まらず歩き回っているらしい城主に声をかけられ、少女は口にした料理を忙しなく嚥下した。
「とても楽しいです。たくさんプレゼントも戴いてしまいました。」
親に報告するようにそう告げる少女に、城主は僅かに苦笑し、浅く頷いて見せた。
「私のプレゼントも預けてある、後で部屋に届くだろう。小さな絵だから、気に入ればどこかに飾るといい。では、引き続き良き時間を。」
そう言い残して、城主はまたふらふらと人に紛れた。
少女はまた、側の男と他愛ない話をしながら料理を楽しむ。
今度はとんとんと肩を叩かれて、また食事を中断して振り向くと、錬金術師の青年が薔薇を一輪差し出す。
「有り難うございます。綺麗…。」
品種改良の成果か、白薔薇の縁が青く色づいている。
「今朝咲いたものだ。奇しくも、今宵の貴女の格好と同じ花だな。」
言われて、少女はきょとりと首を傾げた。
裾に向かって色付く青、葉か茎にも思えるクラッチバックのステッチ、花心を思わせる生成のボレロ。
少女自身が薔薇の花のようとは妙に納得させられる言葉で、少女の側に立っていた男は思わず「成程」と呟いた。
青年は真意を伝えずやや笑んでその場を離れていった。
恐らくは程々に挨拶を済ませたら、ワインを片手に本を読み耽るのだろう。
城の住人には変わり者も多いが、彼もやはり変わった人物の一人だった。

楽しい時間というのは、何処の世界でも短く感じられるものだ。
主催側によって用意されたゲームや有志による余興など、飽きさせない催しも手伝って、あっと言う間に夜は更けていった。
最後はダンスタイムで、照明の一部が絞られ、ゆったりとした音楽が会場に響く。
もう小さな子供達は残っていない会場でその旋律は、楽しい音楽よりも馴染んだ。
「ワルツは踊れたか?」
一組二組と増えていく男女を見ながら、男は問いかけた。
「あ、はい。ワルツなら…」
ウィーン・ワルツのようなテンポの速いものはまだ修得していないものの、普通の三拍子を刻むワルツならば大分慣れてきた。
そう思いながら少女が答えると、男は笑んで片手を差し出した。
「それでは折角だから、一曲踊ろう。」
そう言われて断る由もなく、少女はその手に己の手を乗せた。
頭一つ分違う身長差に、勝手が違うかと少し頭を横切ったが、それは完全な杞憂に終わった。
間違えそうになってもさりげなくフォローしてくれる男のリードで、少女はワルツを気持ちよく終えた。
踊っていなかった者の拍手で、ダンスタイムは幕を下ろし、それと同時にパーティも閉幕になった。
少女は男に導かれ、自室前に戻った。
「有り難うございました。」
自室前で別れを告げる男に、少女は様々な意味を込めて謝礼を告げた。
男はいつものように微笑んで、もし眠らないならば皆いつも過ごす広間にいるだろうと教え、おやすみと告げてから去っていった。
自室に入って着替えると、ソファに深く身を沈めた。
耳の音ではまだパーティのざわめきが残っている気がする。
僅かな倦怠感のままに、少女はそうして暫く放心していた。
「あ。」
少女は小さく声を上げて、立ち上がって本棚に近付く。
手に取ったのは極普通の植物の本だ。
パラパラとめくって目的のものを探しだすと、クリスマスローズ、と小さく呟いた。
卓上の花の名を、少女は知らなかったのだ。
その花の名を知った少女は、育て方の項目を丁寧に読んでから本を閉じた。
部屋は然程暖かくはないが、寒いというほどでもない。
少し迷ってから、少女は花を卓上から窓際に移して、暫く花を見つめていた。
長いような短いような一日だった、と思いながら。

リン、と軽い音が卓上で鳴り、少女は我に返る。
備え付けられた通話器の発した音だった。
「はい。」
受話器を取って応えると、人形娘からお茶の誘いだった。
そういえば咽喉が乾いた気がする、と少女はその誘いに快諾し、受話器を置いた。
そして靴を履き替えて、きちんと照明を落として部屋を後にした。


照明を落とされた部屋の中、窓辺の花は月光を受けて、淡白く輝いているように見えた。


薔薇(青)「神の祝福」