卯月:桜




ひらりと視界を掠めたものにつられ、青年は視線を上に向けた。
今年も咲き出した緋桜が花を散らしていた。
十年も前の記憶が甦り、青年は暫くそこに立ち尽くした。

「私を殺してくださるのは貴方?」
依頼主の娘は、白銀の青年を認めると微笑んで言った。
何も感情を映さない眸で青年は白装束に身を包んだ娘を見下ろした。
「良かった。いかついおじさんが来たらどうしようって思っていたの。」
娘はにこにこと話す。
青年は黙ったままそれに耳を傾けていた。
「知っているかしら、桜が薄紅なのは人の死体が埋まっているからなのよ。けれど此処の桜は純白なの。穢れを知らないのね。」
娘は窓から外の桜を眺めて言った。
「私が誰かの穢れを癒すときも、桜はただあそこで綺麗に咲いているの。気が狂いそうだった。もうずっと。…やっと終われる。」
愛しげに娘は青年を見詰めた。
青年はやはり黙ったまま。来るべき時を待つように。
「出来るなら私の死体はあの桜の下に埋めて欲しいわ。私を裏切り続けた、桜の下に。」
「了解した。来世では幸多き事を。」
娘の願いに青年は初めて声を出して言葉を返した。
娘は微笑んで頷く。
そして視界は白銀から闇へ。
「けれど、好きだったの。」
娘は桜を霞んだ視界に映してから息絶えた。
「…こんな時だけ生まれる感情に、何の理由がある?」
紅く染まる娘を抱き留めながら、此処にはいない主に青年は呟いた。
そして、遺体を抱いたまま世界から消えた。
「この娘と桜を、城へ。」
白い己の服さえ紅く染めたまま、青年は城主の前に現れて言った。
城主は僅かに驚いたような表情を見せたが、すぐに頷き、城の西を指した。
桜の林がある方向と知ると、頷いて青年は踵を返した。
桜はこの城主が移動させたろう。そういう人なのだ。いつだって残酷なまでに優しい。
桜はすぐに見つかった。
その下に遺体を埋める。
祈る言葉を持たない青年は暫く見詰めた後静かにその場を後にした。

再生された記憶が終わりを告げると青年は桜を一瞥してからその場を離れた。
今は何の条件も満たさず淡泊な彼は、それに何も思わない。
何物にも侵されぬ彼こそは、純潔。
もう白には戻らぬ緋桜が白銀の背を見送っていた。



桜「精神美」「淡泊」「純潔」