水無月:紫陽花




「お、十三部隊遊撃隊の隊長様だぜ。」
若い将兵が自部隊の新しい兵卒と共に長い回廊を歩いている途中、回廊の向こう側を指して言った。
雨の中しとどに濡れる庭で紫陽花を見つめる美しい人影を認めた新兵は、思わず吐息を漏らした。
「遊撃隊長様は女性であられるのですか?」
熱に浮かされたような新兵の言葉に将兵は苦笑いを滲ませた。
「馬鹿、男だよ。美しい方だが俺達の数万倍お強い。」
「はあ。」
いまいち信憑性の薄い―どう見ても男には見えない―その人影を見つめたまま新兵は気の抜けた返事を返す。
美しかろうが軍人には変わりない。
視線に気付いた青年は紫陽花から回廊に目を向けて、僅かに首を傾げた。
それに気付いた将兵は慌てて新兵の頭を押さえ、頭を下げると未だ見惚れる新兵を引っ張って足を急がせた。
「雨に紫陽花の似合う方でしたねぇ。」
うっとりと零された言葉に将兵は苦々しく思う。
魔軍第十三部隊は魔軍の中でもっとも強いと謳われ、遊撃部隊はその中でも選り選りの先鋭が勤める。
その部隊柄結束は固いが、激戦区に投じられる為に切り捨てる無情さも合わせ持つと聞く。
その隊長を勤める青年は戦う姿さえ美しいが、戦場ではやはり冷淡だとも。
知らぬが花よと未だ何処か夢現の新兵を見て将兵は思った。

『別れよう。』
蛇の目傘を片手に紫陽花を見つめながら青年は朝の出来事を思い出していた。
『どうして?』
当然のように返された質問に青年は曖昧に頬笑む。
『君を待つ人は別にいるから。…さよなら。』
直接の解答は避けて青年は言った。
泣くでもなく、怒るでもなく、恋人だった女性は「そう…」と呟く。
『貴方は、紫陽花のような人ね?』
部屋に花を絶やさないその人は、近くの花瓶に挿してあった紫陽花を一枝抜き取り、青年に差し出した。
『さよなら。』
微笑んで告げられた言葉に、別れを告げた側が僅かに傷つくという矛盾が生じたが、咎めるものはいなかった。
青年は紫陽花を眺めながらその言葉の意味を考える。
しかし、分からぬまま、雨の庭に立ち尽くす。
姉ならば、分かるだろうかと思い付き、青年は苦笑する。
どれだけ違う誰かを求めても、変わらぬ事がある。
その根底を、あの女性は気付いていたのかも知れない。
浮気にすらならない移り気を知っていて、付き合ってくれていたのかも知れないと思い付き、青年は紫陽花に触れた。
雨粒が指に絡み、花は揺れる。
暫くその感触を楽しんでから、青年は漸く庭を後にした。
花は名残惜しげにいつまでも揺れていた。



紫陽花「あなたは美しいが冷淡だ」「移り気」「辛抱強い愛情」「浮気」「無情」