長月:曼珠沙華




「その花は部屋に持ち込んだらあかんよ。」
庭先に植えられた花を吟味する金髪碧眼の少女に、バンダナ頭の男が声をかけた。
陶器のようにすべらかな白い指が茎を離すと、それに従って赤い花がゆらゆら揺れた。
「そっちの色違いにしとき。」
鍾馗水仙とも呼ばれる黄色いそれを指さして男は近くに腰掛けた。
初秋の空は高く晴れ渡り、夏の目も眩む明るさはなく城の上に在った。
花火のような花びらの、黄色いその花を摘んで花籠に入れた少女は男の隣に座った。
「どうしてリコリスが駄目なのです?」
「火を呼ぶ花やから。煉獄の焔を映す花。」
言う言葉とは裏腹に、男はいっそ愛しい者の話をするように言った。
「思い出がお有りなんですね?」
薄桃色の唇が聞けば、はは、と笑って男は空を見上げた。
暫くの静寂。
「――縁のある花やな。」
秋の長雨、曼珠沙華。
男は僅かな諦めを交えてそう呟くと空を見上げた。
そして、ゆっくり話しはじめた。

さわさわと降る蕭雨の中、まだ青年とは呼べない姿の少年は、旅立ちを決めた。
理由はいくつかある。
古い血筋を守る家が煩わしいから。
双龍に生まれる血筋ながら単龍であることゆえの柵から逃げ出したかったから。
単龍に生まれた場合、対となるべき龍が他の地に生まれている可能性があるらしいから。
――言え、と言われたら幾らでも理由はある気がした。
でもきっとそれらは言い訳で、理由は至ってシンプルに旅がしてみたかったからだ。 未練はなかった。
此処に居ることで得られる感情を天秤にかけられるとしたら、負の感情が正の感情より重いだろうと少年は思った。
いないほうがいい、と思い、それは旅立ちの手助けになった。
それは暑さの引けてきた九月。
路傍には曼珠沙華が咲いていた。雨に当たる毎に揺れる花に見送られ、少年は旅立った。
また会う日を楽しみに待つ母のように、花はいつまでも揺れていた。

次の記憶は、戦争が終わった何処かの国だった。
曼珠沙華が一面に咲いていた。
生き残りの小さな女の子が、誘われるようにその花に火を点けた。
「この花がなければ、戦は起きなかったのに…」
その幼い容姿に似合わない声と口調で、女の子は最期に言った。
戦争が女の子を子供のままでいることを許さなかったのだろうと思うと胸が痛んだ。
その一年後、同じ場所に訪れると、焼けた地からまた、曼珠沙華が咲いていた。
花は、一年前の毒々しさはなく、可憐に見えた。

また、何処かの国で、宿がわりに泊めてもらった民家の老婆に聞いた話にも曼珠沙華が出てきた。
一人娘が、身分違いの恋をして、そして散った話だった。
美しい花だが見るのは辛い、娘を奪った花だと老婆は言った。
宛がわれた小さな家で、持ち込んだ曼珠沙華が火を喚んだのだ。
ここではそれは迷信ではなく実際に起こることであった。

曼珠沙華を薬にしたり食用にする研究をしている者にも出会った。
飢饉で、野生するその花ばかりがあるだけの村だった。
彼の情熱に圧され、球根の食べ方を教えた。
その後、村がどうなったかは確かめていない。

「何処か、悲しい思い出ですね。」
男が一息ついたところで人形娘は言った。
人形娘は、しかし、その花が男には合うような気がした。
天上の花とも呼ばれる気高い孤高の花は、地獄の業火より龍が生む炎に似ているように思えたからかもしれない。
「そうかもしれんな、季節の狭間に咲く花やから。」
男は曖昧に笑んで言った。
「この城に来る時も咲いてたわ。―ほんま、縁の深い花や。」
過ぎ去った日を思うように男は言った。

さわ、と風が吹いた時、男は立ち上がって人形娘に手を伸べた。
「長話になってしもたな。もうすぐ夕方や。中入ろ。」
人形娘が軽やかに立ち上がり二人は肩を並べて城へ戻っていった。
その背後で曼珠沙華がゆらゆらと揺れていた。


蕭雨(ショウウ)…「蕭」はもの淋しいの意。しとしとと降り続くもの淋しい秋の雨。

曼珠沙華「また会う日を楽しみに」「過ぎ去った日々」「情熱」「悲しい思い出」 「再会」「あきらめ」