荒ぶる大洋の上で、城主はじっと佇んでいた。
「無理だな。」
暫く後そう独り言ちて、右手の中指に填められた指輪に口付けた。
その指輪に封じられていた獣は召還に応えて一声鳴いた。
「海底に沈んだ死体を上げてくれ。出来るだけ急げ。」
そう城主が言えば、獣はすぐに潜水を開始した。
城主は濡れたくない、と早々に高見の見物とばかりに海面から更に距離のある位置に上がり、獣の帰還を待った。
獣の声が細く聞こえ、やがて海面に顔を出した。
その背には若い猟師。
「状態の良い死体だな。」
皮肉混じりに呟きその遺体を獣から足下に用意した棺に手早く移すと、それを引きずり城主は歩きだした。
いつもより早い歩調で。

「間に合わなかったか。」
骨折り損だ、とは言わず、城主は溜息を吐いた。
歴史の道標を消してやりたい、と思った。
あってはならない石を掻き集めることになった城主は涙する人魚に棺を授けた。
「約束通り涙は戴いていく。」
落ちた涙の方が問題だと思いながら城主は人魚に言った。
人魚はそれに頷き棺を受け取った。
涙を失った人魚のその後を城主は知らない。
ただ一度、その父神が涙を返すようにと打診してきたことがあり、断ったことがあるだけだ。
あの世界の人魚の涙は白くなくてはならなかった。
歴史の道標が繰り返す歴史をなぞろうとも、世界がそれを望まぬならば城主はそれに沿うだけだった。
どこかの世界で幻となった海の煌めき、人魚の涙は城主の元に留められ、城の敷地のどこかにあるという海で、真実のように漂っていた。