第二話




アカーシャ=レイコードは歩いていた。
彼女が太陽の光を浴びたのはいつぶりだったか。
眩しさに目を細め、アカーシャは空を見上げた。
まだ墜ちる予定のない恒星は或いはかつて既に一度墜ちたか、と思いを巡らす。
彼女の記憶はそれを辿ることを億劫がった。
彼女は諦めて道ではない道をゆったりとした速度で歩く。
そこは地図にはない場所だった。
地図に載っている場所まではそう遠くはない。
だからこの位置で彼女は「管理者」達の車から降りたのである。

ぐらり、

体が揺れた。
元々強くはない体は、直射日光を受け続ける事に耐えられなかったようだ。
しかし、その体は地につく事なく引き上げられた。
一人の青年の腕によって。

「…誰。」

小さく呟くと、青年はそっとアカーシャを立たせた。

「おかえりなさい。」

初対面の筈のその青年はアカーシャにそう言って笑んだ。
慈悲深い神父のように。

「そして、初めまして。アカーシャ=レイコード。私は彼の人より遣わされた者。名も、まだありません。」

そう言って青年はアカーシャの前で優雅に一礼した。
アカーシャは彼の人を想い、青年を見つめた。
僅かに霞んだ記憶の中で、青年は彼の人にとても似ていると思いながら。
そしてともかく全ては帰ってから、と促されて帰路に着く。


サク、
 サク、

軽い音を立てて砂を踏みながら、アカーシャはふと青年に視線を移した。
青年はすぐにアカーシャを見て微笑む。

「名は、ミカゲと名乗ると良い。彼の人の御使いならば彼の人の影のような者だろう。」

そうアカーシャが思いつくままに言うと、ミカゲと名のついた青年はとても嬉しそうに破顔した。
喜ばれた事がくすぐったく感じたのか、アカーシャはミカゲから視線を逸らした。


案内された家に着いてアカーシャはやっと生きた心地でほぅ、と息を吐いた。
初めての家ながら、帰ってきた、という実感を漸く持てたのである。

「あそこは嫌いだ。」

苦々しく、アカーシャは言う。
ミカゲはどう返事をするべきか分からず僅かに眉を下げ困った表情をした。

「あれらは、私を人とは思っていない。」

アカーシャは法力を持つ。
それも強大で、世界を傾ける程の法力を。
その事実から「管理者」は彼女を拘束した。
永遠に幽閉するつもりだったようだが、それは彼の人によって止められたようだ。
ミカゲをも与えた彼の人をアカーシャは知らない。
ただ、それは例えば親だとかそういう者に近い誰かだと知っている。
それ以上はアカーシャには必要がない。
感謝する対象であることが分かっていれば、それでいいのである。


まるで何年もそうしていたかのように、二人は直ぐに二人の生活に慣れた。
「管理者」達は全てを手にする事を諦めたのか、時折依頼という形で彼女にその能力を使う事を要求する他は殆ど手を出さなくなっていた。
そう、数年前までは。
その均衡が破れたのは、「管理者」の一部が世界の敵と名乗る集団に殺されてからだ。 アカーシャの能力が世界の敵に渡る事を「管理者」は恐れた。
そして、「管理者」と世界の敵がアカーシャを手に入れようと、彼女らの生活を侵すことが頻繁に起こるようになった。


その日訪れたどちら側からかの客は、稀有と言って良かった。
稀有なのはその容姿だった。
緩やかにウェーブのかかった琥珀色の髪、陶磁器のようにすべらかな肌の愛らしい少女。
鈴を転がしたような美しい声で、その少女はその容姿に不似合いな大鎌を構え、死を宣告した。

「これも、運命なの。」

そっと少女は囁くように言った。
アカーシャは自分より幾分小さな少女を見つめる。
少女が言った運命という言葉を舌の上で転がす。

「君の名は?」

アカーシャは目を細めて言った。
ミカゲはアカーシャの思考を読めずに当惑し、しかし少女への警戒を怠らなかった。

「プラネタリー。」

そう答えた少女は、無表情に鎌を振り上げた。

「では、プラネタリー。私と共に在りたまえ。私の前に現れた君が運命であるように、それも運命だ。」

静かにアカーシャは言った。
アカーシャの意図をはかりかねたのか、それとも呆気に取られたのか。
プラネタリーと名乗った少女は鎌をゆるゆると下ろし、アカーシャを見つめる。

「少なくとも此処は、その望まざる行為を望む者はいない。」

アカーシャはプラネタリーに何を見たのか。
静かに、慈悲深く言った。
プラネタリーはそれに笑おうとして失敗したようだった。
プラネタリー自身、その言葉を長く望んでいたからかもしれなかったが、その真意を知るものは此処にはいなかった。
ただアカーシャがゆっくりと差し伸べた手をそっと握った。
プラネタリーは何を言えばいいか分からなかったし、ただそれだけの行為でいいということを知っていたからかもしれない。

「宜しく、プラネタリー。」

アカーシャは確信犯の笑みで言い、ミカゲは苦笑し、プラネタリーは少しぎこちなく微笑した。