第三話




年を取るのが遅い、とアカーシャが気付いたのはいつだったか。
少なくとも両親というものの存在を知らない。
そういう存在がなくても生きてこれたから、そういう存在について考えたのも、そういう存在が登場する書物を読んでからだ。
アカーシャはそんな事に気付くより早く此処に居た。
「管理者」とノルンと許された極少数の人間だけが住まう地区の一角にあるドームに。
いつからかと記憶を辿ろうとは思わなかった。
アカーシャは例えば自分の生まれる前の記憶さえ、辿る事が出来たが、それに興味がなかった。
アカーシャにとって、それらは望まれた時にだけ辿るものだった。

ある時、アカーシャの世話係になった男が居た。
彼はそれまで色々な場所を旅していたと言って、アカーシャの暇つぶしになるよう、と旅の話をした。
アカーシャはそれを"識って"いたが、それらを見たことはなかった。
だから彼から話される言葉はとても鮮やかで息づいているように感じた。
そして、外の世界へ出たいと望むようになった。

「管理者」達は当然、それを許さなかった。
ただ、一人、「管理者」の中でもアカーシャの望みを叶えようとする者がいた。
年老いた老婆で、アカーシャはその者と幾度か話したことがあった。
初めて会った時は、もっと若かったような気もしたが、アカーシャはそれを確認することはなかった。
自分が他者とは違う時間を歩んでいるらしいことは、分かっていることだからだ。
何故老婆がアカーシャの望みを叶えようとしたか、アカーシャは知らない。
ただそこに好意があった、それだけで十分だった。

ノルンや「管理者」とて、ただの人間、不死ではない。
死ねば直ぐにその空席を埋められる。
アカーシャにはどうでもいいことだった。
「管理者」達に興味がなかったからである。
ただ彼らは代替わりをすれば必ずアカーシャを訪れた。
アカーシャはそれをせずとも彼らが外でどうしているか知っているから、退屈な儀式だと思った。

大体にして、このドームは退屈なのだ。
作り物の空、作り物の鳥。
照り付ける太陽までもが人工の産物であり、まるで巨大な箱庭だとアカーシャは思う。
ドームを出れば、僅かながらに緑もまだあるし、空は高い。
此処の住人はそれを知らないのではないか、と。
旅をしていた世話係の話を聞いてから、尚強くそれを思うようになったアカーシャは、既に年老いた世話係の死を切欠にドームを出る決意をした。
そして、老婆の助力によってドームから出る事に成功する。
ただ、老婆が出来たことはドームから出す事と僅かばかりの金銭―当面の生活をどうにか過ごせる程度の―を与える事だけで、それ以上のことは出来なかった。
しかし、それが最大限老婆に出来たことであるとアカーシャは知っている。
だから感謝した。
恐らく初めて、「管理者」に対して。
アカーシャは自分の体があまり強くない事を知っていた。
しかしこれ以上の我侭を老婆にかければ、老婆が他の「管理者」によって始末されるかもしれないということも知っていた。
他の「管理者」はアカーシャが根を上げて帰ってくることを望んでいるからである。
だから、アカーシャは地図にある街より手前で車から降りたのである。

彼の人が遣わしてくれたミカゲのお陰で、何も知らないアカーシャも街でどうにか生活が出来るようになった。
アカーシャにとっては、些細な事全てが殆ど初めての経験であったから、様々に不便はあった。
退屈を感じる暇などはなく、アカーシャは過ごした。
生活に慣れて、ミカゲが勧めるままに本を書いてみることにした。
アカーシャは退屈なドームで本を大量に読んでいたからか、元からの才能なのか、それは思うよりしっくりとアカーシャに馴染んだ。
ミカゲはアカーシャと共に街に移ってからずっと小さな出版社に勤めていたから、アカーシャの小説を書き続けられるように尽力した。
結果から言えば、アカーシャの小説は、絶大な人気を誇った。
言葉の巧みさも描写の繊細さも、独特な世界観の中で息衝き、愛された。
そういう経緯を持ってアカーシャは物書きになり、ミカゲはいつしか彼女を「先生」と呼ぶようになった。
アカーシャにとって、その呼称は心地よさと僅かな居心地の悪さを共存させる不思議な言葉に聞こえた。
それがミカゲに呼ばれるからなのか、それともその言葉そのものの持つ感覚なのかまではアカーシャには分からなかった。
アカーシャには師と呼べる者もいなかったし、アカーシャ自身そう呼ばれるのは初めてだったからである。
その呼称もすっかり慣れる頃には、二人の生活はすっかり街の中に溶け込んでいた。
たまに襲撃者が来る為にけして街のど真ん中に住むことなどは叶わなかったものの、それでも街の人は優しかった。
本が爆発的な人気であったこともあり、アカーシャはそれなりの財を有するに至り、不穏な来客以外は全て穏やかな時間を過ごしていた。
これがプラネタリーが来るまでの毎日である。


自分の年齢を、プラネタリーは知らなかった。
人並みの幸せ、というものが万人にとって幸せでないことを知っているアカーシャから見ても、プラネタリーはからっぽだった。
人の殺し方や、生き延びる為の術や学術的知識は、プラネタリーにとってはただ与えられた道具にしか過ぎなかったから。
それでも覚えはよく、プラネタリーはすぐに自分の役目―ミカゲが働いているから、自分は家事をすると言った具合に―を見つけ、生活に馴染んでいった。
そしてその外見から、アカーシャはプラネタリーに学校へ行くように勧めた。
プラネタリーは拒むこともなく、学校へ通うようになった。
或いは、そういうことに憧れたこともあったのかもしれない。
プラネタリーはそうして何処かに取り落としてきた人間らしい部分を少しずつ手に入れていった。
友人を作り、時には遊びにも行く。
そういうことが必ずしも「幸せ」ではないが、少なくともプラネタリーはよく笑うようになり、幸せそうだった。
やはり時折来る「客」への対応は肌に馴染んでしまったものであり、怯えるようなことはない。
けれどアカーシャはそれもいいと思った。
それが大切なものを守るために奮われるものならば、ずいぶんいい、と。