第五話
「ただいま帰りました。」
出来るだけ音を立てずに玄関を開けて少年を中へ促す。
少年は大きな家に驚きながらくたくたになっている靴を脱ぐ。
「おかえり。」
殆ど音は立てなかった筈なのに、先生は寝巻きにショールを羽織った姿で廊下に現れた。
きっと居間に行けば少女がミカゲの為の夕食を温めていることだろう。
此処はそういう家だった。
「そちらの少年は?」
ミカゲの脇にいる少年に興味を示して先生はミカゲに問うた。
「刺客…になる筈だった少年です。」
眉を下げてミカゲは言った。
少年は状況についていけていないようではあったが、まっすぐに先生を見た。
「先生、この少年を小間使いに雇っていただけませんか。」
ミカゲの突然の申し出に先生はじっと少年を見つめ、取り合えず居間へ、と踵を返した。
そつのない少女はしっかりお茶の準備も整えていたようで、居間に置かれた机に三人が座ると滞りなくお茶が運ばれてきた。
「どういう状況なのかな。」
少女の入れたお茶を一口飲んでから先生は問うた。
「この少年、どうも私を殺さなければ組織には入れてもらえないらしいです。組織が私を殺すように言ったのは恐らく組織の方便でしょう…仮に私が少年を撃退するのを躊躇って怪我でもさせれば儲け物、程度にしか思われていないと思います。」
ミカゲは自分の憶測を話した。
アカーシャもそうだろうな、と軽く頷く。
「この少年のお姉さんが病気だそうなので、その病気が治るまでだけでいいので、小間使いに雇ってあげてもらえませんか。そうすればこの少年が血を覚えることもないでしょうから。」
少女に出されたクッキーにすっかり気を良くした様子の少年を見つめながらミカゲは言った。
ミカゲの視線に気付いた少年は照れくさそうにそっぽ向く。
何処にでもいる少年だった。
「分かった。少年には話してあるのかね?」
「いえ。ただ連れ帰っただけですから…。今から話します。もう私を殺そうとはしていませんし。ナイフも取り上げてしまいましたからね。」
そうミカゲが言うと、私から話そう、と先生は言い少年に視線を移した。
「少年、名は何と言う?」
「エアー。」
手にしたクッキーはそのままに少年は答えた。
「ではエアー、私の小間使いとして働いてくれないかね?報酬は君とお姉さんが十分生活できるだけのお金と、お姉さんの治療費でどうだい?勿論、働きに応じて報酬は上がる。」
先生は至極真面目な表情でエアーと名乗った少年に言った。
少年は突然の申し出にいぶかしんだような表情で先生を見つめる。
「そんなこと、アンタにしてもらう筋合ない。」
少年は目を逸らし、細い声で言った。
戸惑いがありありと見える表情に先生は苦笑する。
「君に、ミカゲが殺せるか?ミカゲは、強いよ。」
そう告げれば、少年はちらりとミカゲに視線を投げかけ、ばつの悪そうな表情をする。
十分にそのことは分かっているのだ。
「そのミカゲが、君を助けたいという。君は、お金が必要で殺しをしようとしたんだろう?ならば、別の手段でお金を手に入れても問題ないということになる。違うかね?」
先生は穏やかに言った。
少年はじっと観察するように先生を見る。
やがて嘘はないと判断したのか、おずおずと首を縦に振った。
「ならば、明日から働いてもらおうかな。お姉さんを医者に診せて、必要だったお金は随時言うといい。初回だけはミカゲと一緒に診てもらうといい。エアーだけでは医者が診てくれないかもしれないからね。」
先生はぐーっと伸びをしてそう言った。
少年はまだ半信半疑と言った風だったが、それでも頷いた。
「では、明日午前中にこの家まで来たまえ。お姉さんは、ベッドから起き上がれるのかな?もし可能なら連れてくるといい。」
金髪の美しい少女にごちそうさま、と言いながら先生は立ち上がった。
「あの…有難う。」
寝室に戻ろうとするその後姿に、エアーは慌てたように礼を述べた。
先生は振り返って僅かに微笑んで居間を後にした。
「包みましょうか?」
エアーがクッキーをポケットにしまおうとするところを目にした少女はそう申し出た。
エアーは美しい少女に頬を染め、おずおずとしまおうとしたクッキーを差し出す。
ミカゲは少な目の夕食を食べ終え、その様子を眺めていた。
少女はそのクッキーに更にクッキーを足して丁寧に包み、少年に持たせてやる。
「あの、オレ、帰る。」
少し上目遣いでミカゲを見上げてエアーは言う。
ミカゲは立ち上がり、そこまで送りましょう、と言った。
「此処で、いい。明日、姉ちゃん連れてきてもいいか…?」
家を出て少し行った所で、何処かぎこちなく、エアーは問うた。
ミカゲは微笑し、勿論と答える。
その答えに安堵したのか、今度は屈託のない笑顔でアリガト、と言う。
ミカゲは何だかその反応ひとつひとつが面白く、鮮やかに写る。
「じゃ、あの、アリガトな。また、明日。」
何処かくすぐったそうにエアーは言い、プラネタリーから受け取ったクッキーを持つ手とは逆の手を振って闇に紛れていった。
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