第六話




翌日、約束通り朝と昼の丁度間頃の、朝日の気持ちの良い時間帯にエアーは姉の手を引いてアカーシャの家に訪れた。
エアー同様粗末と呼ぶことすら憚られるような服を着た姉は、驚くほど細かった。

「センセイ、おはようございます。」

エアーがミカゲ達を真似てそう挨拶すると、現れた先生は苦笑しておはよう、と返した。

「アカーシャ様ですね。初めまして、エアーの姉のアースと申します。弟が迷惑をお掛けしたようで申し訳ありません。」

弟がセンセイ、と呼んだのに反応して、姉が頭を下げる。
存外にしっかりした印象を持つ姉を見て、先生はこちらこそ、と頭を下げた。

「エアー、プラネタリーと一緒に買い物に行っておいで。」

そう言って二人が連れ立って出て行くのを見送った先生は少女が出したハーブティを一口飲んでから、いつまでも緊張して口にしなさそうなアースにお茶を勧めた。

「あの、どういう経緯でエアーと…知り合われたのでしょう?あの子は学校にも通っていません、此処で働かせていただいても役に立つかどうか…。」

口に含んだハーブティの香りに心もほぐれたのか、暫く静かにしていたアースはそう口を開いた。

「失礼だが、今は何処にお住まいかな?」

先生は直接答えることなく、アースに訊いた。
アースの方は、質問に答えることを躊躇った。
家らしい家と呼べるところには住んでいないのだ。壊れかけた納屋のような場所をエアーと共に少しだけ人間が住めそうな形に変えただけで。

「何処を、患っている?」

重ねて、先生は問うた。
特に答えがないことに怒っている様子ではない。

「心臓を。その、医者にかかったことがないので、それ以上は分からないのですが。」

アースの返答は尻すぼみに小さく、自分達の生活を恥じていることを思わせる。
何とか生きているのは、エアーが「何処からか持って来る」食事のおかげだ。
それが何処から持ってきているのかという答えを知っていながら、アースはそれを追及しない。
そうしなければ生きていけないということも、十分に知っているのである。

「貴女は、文字が読めるのかね?」

全く支離滅裂に先生は訊いた。
元々そういったことに頓着しない性質であるからなのか、意図したことなのかは分からないが。

「はい。簡単な言葉ならば理解できます。」

アースは頷いて答えた。先生もふむ、と頷く。
そして、失礼と言い残すと部屋から出て行った。
アースは所在なさげに周りを見、そしてあまり周りを見るのも失礼だと思い至ったのか硬い表情で目の前のハーブティを見つめていた。

「ちょっと開けてくれるかい?」

出て行った先生の声にアースは立ち上がり、襖を開ける。
先生は何冊かの本をよいしょ、と呟いて応接用のテーブルの上に置いた。
それはよく見れば、数冊の辞書だった。子供用から専門的なものまで並んでいる。

「私は文字書きなんだ。字が読めるなら、推敲を手伝ってほしい。分からないことは調べて覚えればいい。」

何でもないことのように、先生は言った。
驚いたのはアースの方だ。
見たところ大きな家に住まうこの人物が自分をわざわざ雇う理由はないように思う。それが分かる程度にアースは利口だった。

「無論、不都合がなければで結構だがね。住む場所も、障りがなければここに住むといい。通ってくるのは大変だろうからな。この通り、住む人間より部屋数の方が多い。使わない部屋はどうしても痛むから、誰かが住んでくれると有り難い。」

けして押しつけがましさはない先生の言葉に、アースは微苦笑した。
先生が自分に対して最大限の気遣いをくれているのが分かったからである。

「わかりました。宜しくお願いします。」

頭を下げたところに、賑やかな声が聞こえた。
買い物ですっかり打ち解けたらしいエアーとプラネタリーの声だった。
明るい弟の声に、線の細い姉は愛しげに眼を細めた。

「姉ちゃん、これ買ってもらった!」

手にした大小の紙袋を掲げて、エアーははしゃいで姉の元に駆け寄る。
アースはあら、と困惑した様子で金髪の少女を見た。

「……もう少しでお医者様が見えられるので、宜しければお使い下さい。」

少女はどういえばいいか迷ったような仕草の後、そう告げた。

「他の物も、追々揃えればいい。好みは分からんが、取り合えずの生活には差し支えないだろう。」

風呂に入ってくるといい、と付け足して、先生は部屋を出ようとした。
その後姿に慌ててアースがお礼を言うと、先生は特に何も言わないまま部屋を後にした。

「お風呂もお使い下さい。こちらです。他の部屋も案内しますね。」

プラネタリーに案内されるまま、二人は家の間取りを覚えていく。
部屋は確かに、少し多いかもしれない。
少なくとも、自分達の家とも呼べないあれに比べれば、豪邸と呼べる。
アースがそんなことを考えていると、一通り案内を終えて浴室に戻ってくると、プラネタリーは慣れた調子で仕舞われているタオルなど一式を取り出した。

「エアーも入るといいわ。二人で入ってもいいし、別々に入ってもいいし。」

エアーに向かって言うと、エアーは後で入る、と言って大きい方の紙袋を姉に渡す。

「ではお茶にしましょう。アースさん、まだ時間はありますから、ごゆっくり。」

プラネタリーはそう言うとエアーと一緒に浴室から去った。
有り難く、久々のお風呂を堪能してアースが浴室から出ると、廊下で待っていたエアーが姉ちゃん、と飛びつこうとして、踏みとどまった。

「オレもお風呂入ってくる。」

照れくさそうにそう笑って、傍らに置いていた紙袋を持つ。
衣類を散らかさないように言って、アースは弟と別れた。
何処に行けばいいか分からず、一番初めに通された部屋に向かうと、プラネタリーが笑って迎え入れてくれる。
少しくすぐったいような気持ちになって、アースも笑った。
こういうやり取りのは、何だか久々な気がした。

「アースさんもお茶如何ですか?」
「あ、戴きます。それから、アースでいいですよ、プラネタリーさん。」
「では、私もプラネタリーと呼んでください。」

ふふふ、と顔を見合わせて笑う。
仲が良くなれそうだ、とアースは嬉しく思った。

結果から言えば、アースの病はすぐには特定出来なかった。
医学というのは、科学が進歩してこそ進歩する部分もあるが、この世界にはその肝心な科学が規制されている。
だから受け入れるしかないことだった。
ただ、症状から対症療法として薬などが処方された。
しかし、今までは訳も分からず床に伏すしかなかったアースは、それだけでも分かって安心した。

「何かあれば安静にして、すぐに呼んでください。」
「分かった。礼を言う。」

同席した先生が医師と話しているのを聞きながら、アースは家族というものはこういうものだった、とまた嬉しくなって弟を見る。
弟も嬉しそうなくすぐったそうなむずむずした笑顔で見返してくる。
そのようにして、二人はこの家にやってきたのだった。