私は彼のことが羨ましかった。
同じ日に生まれ、同じ環境で育ってきたのに、どうしてこうも違うのだろう。
彼は知的で活動的で明朗な性格も相まって、そばにはいつも友人達が多くいた。
それに比べ、私は誰にも見向きされることなく、一人ぼっちだった。

 両親も、出来のいい彼のことが相当可愛いらしい。
食事の際も話題の中心はいつも彼で、両親を和ませていた。
いつからこうなってしまったのだろうか。
私達がまだ小さい頃は、彼は私の後ろから様子を窺うような性格だったのに。
今日も、彼は学校で起きた出来事を面白おかしく話し、両親を笑わせている。

 食事が終わり、母親は台所で夕飯の後片付けをし、父親は書斎に入って仕事の続きを始めた。
彼はというと、自室に戻って、学校で出た宿題をしているようだ。
来年には受験生ということもあって、近々学習塾に通い始めるといった話も出ていた。
彼のベッドの脇には、古びたCDラジカセが置いてあり、ノイズ混じりのラジオ番組が流れている。
私は彼の勉強の邪魔にならないように静かにベッドに寝そべりながら、彼の背中を眺めるのが好きだった。
気付けば、そのまま寝てしまうことも多々あって、その度に彼を困らせていた。

 彼が背筋をぐっと伸ばしたとき、机の上にあるカレンダーがちらっと見えた。
少し気になって、体を起こし、彼の背中越しにそっと覗き見た。
今週の土曜日、日付の周りをぐるぐると赤いペンで丸く囲って印が付けられていた。
さて、その日は何の日だったろうか。
しばらく考えても答えは出なかったが、きっと最近学校で仲のいいあの女の子とデートでもするのだろうと、私はそっとにやついた。

 そう大して変わらぬ日々が続き、例の日の前日となった。
いつもは夕飯の後にする宿題も、学校から帰ってすぐに始め、夕飯の前には終わらせていた。
母親に夕飯が出来たと呼ばれるまで、彼はベッドに寝転がりぼんやりと天井を眺めていた。
明日のことで、緊張しているのだろうか。
その日は、彼のそんな様子が伝染したのか、いつもに比べるとどこか静かな夕飯となった。


 そして、当日の朝。
部屋の空気を入れ替えるために開けた窓からは、少し冷たくなった風が入ってきて、水色のカーテンを揺らした。
朝食を終え、部屋に戻ってきた彼は、普段より少しだけ余所行きの服を着て、落ち着かないように部屋の中をうろうろしている。
さっきから何度も姿見に自分を写し、大して変わるわけでもないのに、髪の毛を弄っていた。
階段の下から、彼を呼ぶ母親の声が聞こえた。
彼女とのデートではないのだろうか?
家族で出かけるような予定は聞いてなかったが、父親は既に車のエンジンをかけて待っているようだった。
仕方なく、私も彼と共に家を出て、車に乗り込んだ。
何故か、両親も余所行きの服を着ていた。
こんなことなら、私ももう少しお洒落をすればよかったと、少し後悔した。

 海沿いの道を20分ほど走り続けた。
私はこの防波堤から見える海が好きだった。
ふと、小さい頃にこの砂浜に遊びに来たことを思い出した。

 車は丘を登っていき、雑木林を抜けて、少し開けたところにある駐車場へ入っていった。
少し遠くなった海からの風が気持ちよく、奥に見える草原が波のように見えた。
しかし、家族でこんなところに来て、一体何の用があるのだろう?
車の中でも誰も話をしなかったし、昨日から何となく様子がおかしかったように思う。
そんな違和感を覚えたまま、私は家族の後ろをついていった。

 駐車場から少し歩くと、綺麗に整備された区画が見えてきた。
海側に大きく視界が開けていて、等間隔に大小の四角い石柱が並んでいる。
お墓だ。
家族は迷うことなく、一つのお墓の前へと向かっていった。

 そこには、私の名前が刻まれていた。

 私は、一瞬にして、欠落していた記憶を取り戻した。
もちろん、記憶が欠落していたことすら、たった今まで気付いていなかったが、それらを含め全てを把握したのだ。
そう、この日に、私は死んだ。
そして、その日を境にして、彼は変わっていったのだ。
私という存在を失った両親を元気付けるために。
学校では、気遣う友達に悲しみを悟られまいと、気丈に振舞っていたのだ。
実は、随分と無理をしていたのかもしれない。

 「姉ちゃん、そっちの生活はどう?」
彼は笑顔で私の名前を刻んだ石に語りかける。
私が、死とは新たな世界に生まれ変わるためのものだと話していたことを覚えていたのだ。
今のこの世界で生きている自分も、また別の世界で死んで生まれ変わった姿なのだと。
彼は母親から花束を受け取り、墓前に供えた。
「誕生日おめでとう」
彼は一言そう呟いて、瞳を閉じた。