深夜、女は月の光の眩しさに目を覚ました。
空には煌々と蒼い月が出ていた。

ゆっくり息を吸って吐く。
晩秋の、或いは初冬の冷たい空気が肺を刺激する。
その冷たさに咳き込みそうになり、女は慌てて横を向き、咳を飲み込んだ。
行き場のなくなった咳の代わりのように目尻に生理的な涙が滲む。
ゆっくり数度、長い呼吸を繰り返してから、女は逆側に寝返りを打った。
すっかり仄暗さに慣れた目に、やや精悍過ぎる男の横顔が見える。
意外にも気配に聡い男は、今は深く眠っているようだ。
女はその事に安堵し、その横顔を見つめた。
男の奥に配されているサイドテーブルには、灰皿があった。
近くには使い込まれた無骨なライター。
女を満足させた後の一服を楽しんだのだろう。
意識を飛ばすように眠りに落ちた女には、その一服の余韻を楽しむ余裕などありはしなかったけれど。
いつからこんな関係になったのか、女は思い出せなかった。

一緒に旅をしていた。
賞金首を追って。
銃弾が大陸を駆け巡る、そんな時代だ。
男とはいつの間にか一緒にいた。
そして、いつの間にか肌を合わせるようになったのだ。
けして初めからではなかったのに。

じわりと咽喉の奥に熱の塊が生まれる。
それはじわじわと膨らんで咽喉の奥に灼け付くようだった。
嗚呼と思う隙もなく、涙は女の目尻を濡らした。
抵抗など何の障害にもならず、涙は次から次へと女の目尻からこめかみに流れ、そして枕に吸い込まれていく。
嗚咽が零れる程ではない涙は、大気を揺らす事なく枕を濡らした。

肌を重ねる行為に何の意味があるのだろう。
何もありはしない、と女は思う。
確証など何もない生活。
明日、自分は屍になっているかもしれない。
思いを交わすことに意味などないだろう。
けれど。
私が抱いてしまった想いはどうすればいいのだ。
もう後には戻れない程の想いと関係の狭間で私はどちらにも偏れない。
この愛しさを、隣で寝ている男は知らない。
優しく触れられる度、期待に躍る胸の内も、名を呼ぶ度に、呼ばれる度に走る痛みも。

衝動的に叫びたくなって、しかし女は堪えた。
じわじわと咽喉の奥はひりついたまま、乾いて痛みを覚えた。
ただ只管、切なくて空しかった。
肌を重ねた後に目を覚ますと碌な事がない、こうして不安定な自分が露呈される。
何処かで冷静な自分がそう言うのが聞こえたが、女はそれどころではなかった。
一音でも発すれば男は起きてしまう。
そうすれば、流石に察してしまうだろう。
それは避けねばならない。
旅はまだ、終わらないのだから。

女はゆっくり深呼吸した。
相変わらず咽喉はひりついたが、気付かない振りをした。
布団の端を握り締めて、丸くなってじっと動かずにいた。
やがて、肉体的疲労から再び訪れた睡魔に抗う事無く女は眠りに落ちていった。
愛しさも孤独も、夢の中にはなければいいと埒もない願いを胸に。


女の寝息が規則的に聞こえて来た頃、微動だにせず寝ていた男は薄く目を開けた。
その体勢のまま、首だけを女のいる方に向けた。
時折、この女がこうして泣いているのを男は知っていた。
しかしだからどうしようという気はなかった。
今更、好きだの愛してるだの言うような甘い関係では有り得ない。
そもそも、そういう想いを交わしてしまったら。
背中を合わせて戦うなど、男には出来そうもなかった。
浅く溜息を吐いて、腕を女に伸ばした。
しっとりと絡み付く髪を少しだけ梳いて、女が起きないことを確認すると、男はゆっくり上体を起こす。
そのままそっと覆い被さるようにして女に口付けた。
肌を合わせる時しか優しく扱えない自分の我侭を謝罪するように。

蒼く円い月だけが煌々とその夜の切なさを見つめていた。