夕暮れに映える横顔





写真を撮る姿を写真に撮る。
何か不思議な仕事だけれど、私はこの仕事を請け負うのが一番好きだ。
カメラを構えたモデルの、一番魅力的な角度を探して撮る。言葉にすればそれだけの事だけれど、それが楽しい。
普通の撮影よりモデルへの注文は少なくていい。少ない方がいい。
好きなもの、興味を惹かれたものをファインダー越しに見る、その表情が欲しいのだから。

今日も今日とて、カメラ広告の撮影だった。
若手のモデルや俳優が使われる事が多いカメラの広告にしては珍しく、私の父と同じか少し年上位の男優が起用されていた。気難しいと言う噂をよく聞く人だった。

「宜しくお願いします。」
頭を下げると彼は少し顔を綻ばせ、握手を求めた。
「どうぞ宜しく。」
すぐに手を握ると、しっかりと握り返される。
それだけで何となく、私はこの人が好きになった。
最初の挨拶の印象は意外に重要だ。
これが気に入らないとどれだけ時間をかけても良い一枚に巡り会えない。プロだからけして手は抜かないけれど、どうしても思い通りの一枚にならないのだ。
その中では最高の一枚を、撮っていると自負しているけれど。
とにかく今日も最高の一枚を撮るべく自然気合が入る。
「デジタルカメラのご経験は?」
スタッフから渡されたカメラを構えるでもなく立ち尽くす彼に声をかけると、苦笑混じりに「お恥ずかしながら全く。」と言われる。
「あの、宜しければ教えますから撮ってみませんか?どうしてもというわけではないのですが、私、写真を撮ってる人を撮るのが好きなので、お嫌でなければ。」
別に恥ずかしがるような年齢でもないと思うけれどそこには触れない。
カメラを覚える気がないと言われたらスタジオでカメラを構える彼を撮る事になる。
そうなると残念だけど、強制して良い写真を撮れるわけでもない。
「是非お願いします。私のような年齢になると若い人には簡単なものが意外に難しくてね…かと言って人に聞くのも存外恥ずかしいものなのですよ。」
こちらの杞憂も何のその、彼は申し出を快諾してくれた。
元々そのカメラのコンセプトはシンプルだ。要するにシャッターを下ろせば良い。
トイカメラに近いニュアンスで細かい選択肢はない。
昔からある使い捨てカメラのような使い勝手に、彼はすぐ要領を得た。
「何処かお好きな場所はありますか?撮影は今日を入れて三日戴いてますから、多少遠くでも。」
そう言うと、彼は少し間を置いてから港の見える丘公園に行きたいと言った。
少し意外な指定だけれど嫌なはずもなく、すぐに向かう事にする。
シャッターチャンスは多い方がいい。

着いてから写真の撮り方をもう一度確認して、公園に入る。
「好きに動いて下さって大丈夫ですから。好きなものとか気になるものとか、誰かに見せたいものとか、楽しんで撮ってみて下さいね。」
そう言いながら私はカメラを三つ肩からかける。
二つは自分のでもう一つはこの広告の商品。
広告に使うのだからその商品で撮った方がいいような気がして。
でも、流石にシンプルすぎてイメージした絵が撮れないかもしれない。
だから自分のも担ぐ。
結果的にどの写真を使うかは広告代理店が選ぶのだけど、自分の好みの一枚は確保したいのだ。
「一緒に歩きませんか。写真を撮るのに離れていた方がいいならば、無理にとは言いませんが。」
一体この人の何処が気難しいのだろう?
誘い言葉にそんな考えが頭を過ぎた。二つ返事で隣に立って歩き出す。
フランス山側からのルートを迷い無く歩き出す。
「よく来られるんですか?」
「かれこれ…4、50年ぶりになります。若い頃よく…妻と歩いたのを思い出してね。」
急な階段をゆっくり登りながらぽつりぽつりと会話する。
階段を登った先のベンチで彼は立ち止まった。
それからファインダーを覗いて少し移動して、またファインダーを覗いて…を繰り返す。 私は少し離れた場所でその様子をカメラに収めた。
少し歩いて、フランス領事館跡は撮らずに再現された当時の風車を撮って、近くのベンチをまた撮る。
思い入れがあるのか、ファインダーを覗く目元はとても優しい。
「意外に夢中になるもんだね。私は子供には恵まれなかったから、カメラを向けられてもカメラを向ける方には縁もなく生きていたけれど、少し損をした気分だよ。若い子が携帯でパシャパシャと撮っているのを見て不思議だったが、成程、楽しいもんだ。」
ベンチの傍の水飲み場を撮ってアスレチックを彷彿させる木の通路を通り、途中に数回シャッターを下ろし、展望台に辿り着く頃にはすっかりリラックスした様子で彼は言った。
「これから是非たくさん撮って下さい。最近のカメラは軽いですしね。」
自分が好きなものを良いと言われると嬉しくなる。
満面の笑みで私はそう答えた。
残念ながら晴天ではないせいで、夕日は見られない。
それでも雲が色付く展望台からの風景を彼は何枚か撮った。
懐かしさと優しさとが入り交じった素敵な表情。
背筋を伸ばし、風景を眺めてから少し身を屈めるようにファインダーを覗く一連の動き。

待ちに待った瞬間だ。

そう直感して、私は何枚も角度や距離を変えながら撮った。
本来なら晴天の美しい夕日が映えるのだろうけど、今日のこの瞬間の写真こそが最高だと確信して。
「五木さんは何故カメラマンになろうと?」
展望台から薔薇の庭を抜けて霧笛橋を回りイギリス山の方へとコースを辿りながら彼は聞いた。
「私が初めて触ったカメラは祖父のポラロイドカメラだったんですね。ボタンを押したらカシャッとファインダーが閉まってべろんとフィルムが出てきて段々それが自分の覗いてた世界を浮きだしてきて。これがもうすごくすごく感動したんですよ。子供だから他のカメラには見向きもしなかったし、大きくなるにつれてポラロイドへの関心もなくなっていったんですが、中学の時、祖父が亡くなって、祖父の遺言でこのポラロイドを譲り受けたんです。私はすっかり忘れてたのに、祖父はちゃんと憶えてたらしくって。で、久々にカメラを構えたらハマりまして。ポラロイドはフィルムが高いから、父の普通のカメラを借りたりしてちょこちょこと撮り歩いてたら、そこからは深みにハマる一方になりました。高校の時、父がそんなに好きならばと少し良いカメラを買ってくれて、それで撮った写真を公募に出したら優秀作に選ばれて。これはもう、カメラで食べてくしかない!みたいな感じで。自惚れ屋ですよね。」
笑って答えると、彼はそれはそれは穏やかに微笑んだ。
「天職だったのでしょう。私のような仕事や、貴方のような仕事は自惚れも必要だと思います。実はね、私はモデルの仕事はあまり好きでないのです。スタジオでただ笑うっていうのがどうも気持ちが悪い。私は役者です。モデルではない。だからね、自分をより良く見せるというのはとても違和感を感じるのです。」
そこで彼は言葉を切って、またシャッターを下ろした。
地平線はうっすらと最後の光を映している。
「けれど、この仕事を受けたのは、五木さんの写真を見たからです。どれもこれも笑っているわけじゃなくて、スタジオ撮りでもない写真を撮るカメラマンというのに興味がわいてね。正直に言えば、こんなに若いお嬢さんだとは思わなかったが。」
彼の言葉に、私は本当にこの人が好きになった。
自分の仕事を認めてくれていて、この仕事を受けてくれたといわれること程嬉しいことはきっとない。
「ありがとうございます。きっと気に入っていただける一枚が撮れていると思います。楽しみにしててくださいね。」
私は笑って言った。私が撮りたかった一枚はもう撮れているのだから。明日、それをスタジオで見て、この人が気に入ってくれたら仕事は終わり。
「さて、そろそろ帰りましょうか。日も暮れちゃいましたし。」
少し肌寒い風も吹いて来たので、私はそう声をかけた。

翌日、スタジオで前日に撮った写真を現像して並べた。
自分としてはあのシーン以上のいいものは、やっぱりなかった。けれど彼が気に入らなければ、今日もまた撮影しにいけばいい。もっといいものが撮れるかもしれない。イメージしたもの以上の一枚というのも勿論たくさんあるのだ。
私はそう思いながら、彼の到着を待った。
約束のきっかり5分前に現れた彼と椅子を並べて座る。
「最終的に選ぶのは広告代理店なのですけど、一応ざっと見ていただいて気に入らなければ今日も撮りに行きましょう。場所を変えてもいいですし。こっちが同じカメラで撮ったもの、こっちが私のカメラで撮ったものです。」
そう言うと、彼は頷いて写真を一枚一枚眺め始めた。
じっくりと写真を検分する彼は、真剣そのものの表情だった。彼が気難しいといわれるのは、彼の仕事への情熱と姿勢からなのだろうな、と納得した。
「これがいいですね。この写真。」
全部一通り見て、それからもう一度除けていた数枚を見比べて、彼は言った。私がベストショットと確信した一枚。
「ありがとうございます!私もその写真が一番撮りたかった一枚だったので、嬉しいです。」
思わず勢い良く、私は言った。
嬉しい、嬉しい。頭の中はそんな単純な言葉でいっぱい。自分の仕事を認めてくれている人が、納得の行く一枚が撮れた事が、とても誇らしかった。
すぐに広告代理店の人に連絡を入れて、二人が一番いいと思った写真のほかにも数枚を選んで引き渡す準備を済ませる。
これで広告代理店の人がOKを出せば仕事は完了。
スタッフが用意してくれたお茶で二人、一息つく。
「あ、そういえば昨日撮った写真、現像してありますよ。」
デジタルカメラだから勿論パソコンで見れるけれど、きっとあの写真は見せたい人がいて撮ったものだ。それなら、現像してあった方がいいんじゃないだろうか。
そんな思い付きで現像してアルバムに綴った彼の写真を手渡すと、彼は穏やかな表情で受け取ってくれた。
「ありがとう。妻が入院していてね。それ程重い病気でもないけれど、少し長くてね。明日持って行きます。」
ぱらぱらとめくりながら彼はそう教えてくれた。

数ヶ月後、奥さんと歩いた若い日々を思い出して、奥さんの今を思いながらファインダーを覗いたその優しい表情が街角を飾った。