夜明けすぎ




Frm:カナ
Sub:無題
おはよ。
久しぶりになっちゃった、元気にしてる?
今日は海に来てます。
朝焼けが素晴らしかったから添付するね。
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明けたばかりの早朝、携帯が無遠慮に鳴るのを男は不機嫌に、目も殆ど開かない状態で止めた。
そのままほぼ無意識にメールを表示させ、薄く片目だけ開いて画面を見る。
男は彼女からメールが来るようになってから、写真が勝手に表示されないようにしている。
一番下にそっけなく添付ファイル名が表示されているのを確認して、男はがしがしと乱暴に後頭部を掻きながら携帯をベッドに放り出して立ち上がった。
大きな欠伸をしながら顔を洗い、歯ブラシを銜えた格好で珈琲メーカーに粉と水をセットする。
次にトースターにパンを放り込んで、男は洗面台に戻る。
手早く歯磨きを終わらせ、鏡を見て、髭を剃るのは止めた。
外出予定はないし、面倒くさい。
ひょいと台所を覗き、まだパンが焼けてないのを確認してからシャワーをざっと頭から浴びる。
そして清潔なタオルで体を拭き、タオルを肩にかけた格好で男は台所に立った。
冷蔵庫を覗くとベーコンも卵もサラダになる野菜もある。
しかし、男は視界に入っていないような顔をしてバターだけを取り出した。
焼けたパンを皿に滑らし、マグカップに珈琲を注ぐ。
それを口に運びながらキッチンを離れ、テーブルにマグカップと皿を並べる。
そしてベッドに近寄ると、投げ出した携帯電話を拾い上げた。
そのままテーブルに置き、食事を始める。
トーストを咀嚼する音と食器の音だけが暫く続いた。
トーストを食べ終え、マグカップの半分程、珈琲を一気に飲み、息を吐く。
食事を終えたという満足感を少しだけ味わってから、男は漸く携帯を見た。
開きっぱなしのメールの文面を再度読み返して、素っ気ないファイル名の画像を開く。
出てきたのは、鮮やかな朝焼けだった。
携帯で撮った写真である。
画質はけして良いとは言えない。
しかし男はその写真を消さないように保護した。
それから、返信画面を出し、珈琲を一口飲んだ。


To:カナ
Sub:RE:
今起きた。
広い空だな。
こちらは相変わらずビルの隙間から僅かに見えるばかりだ。


少しの思案の後、男はそうメールを打ち、そのまま確認もせず送信した。

二人の関係を一言で表すならメル友というものだ。
この関係はそろそろ一年以上になる。
去年の春先、大学生になったらしい彼女が間違いメールを送ってきたのが始まりだった。
いつもなら放っておく間違いメールに気まぐれに返信したのは、余りに無邪気な待ち合わせ場所の確認を放置するのは流石に気が咎めたからだ。
その日から、彼女とのメールのやり取りが続いている。
とはいえ、男からメールを送った事は一度もなかった。
いつも彼女のメールを受けてから返信するだけ。
いつだか、迷惑かと問われたが、男は特に迷惑だとも思っていない。

彼女はいつもメールに何かしら写真を添付して送ってくる。
今日のような風景ばかりでなく、雑貨や小物、店の看板、その日のランチ…彼女の琴線に触れたらしい様々な物が写されて送られて来る。
それは自分にない感性で、男には良い刺激だった。

携帯がまた鳴った。
数度の連打で新しいメールが表示される。


Frm:カナ
sub:無題
やどかり!
-2080180631.jpg


たった一言に写真が一枚。
何年かぶりに見た宿借りに男は思わず笑った。
大学二年と言えば成年間近だろうに、何という無邪気さだろう。
顔も知らない相手に抱くには柔らかすぎる感情に苦笑しながら、立ち上がりベランダに出る。
ふらりと見回し、いつだかに友人が酔っぱらって置いていった鉢植えに花が咲いているのを見つけ、特にアングルに気を使うわけでもなく一枚写真を撮った。


To:カナ
Sub:RE:
Tmp:-2080150101.jpg
ヤドカリ、久々に見た。
そういえばもう十年くらい海には行ってない気がする。
ダチが置いていったサボテンに花が咲いてたから送る。


男はまた短い文章を打ち込み、今度は写真を添付する。
返信はさっきよりもかなり早かった。


Frm:カナ
Sub:RE:Re:
写真くれたの初めてだよね!ありがとう。
嬉しくて保護しちゃった(笑)
サボテンの花、初めて見たかも。
真っ赤なんだね。
筧さんが世話してたの?ちょっと意外。


そう書かれたメールには写真は添付されていなかった。
驚いたのだか喜びからか、慌てて返信してきたのだと思うとらしくなく優しい気分になる。
そのメールで男は写真を送ったのが初めてだと気付いた。
何気なく送った一枚が相手を喜ばせるというのは存外に気分の良いことだったが、男はもう写真を撮る気はなく室内に戻る。
日が高くなるにはまだ時間があるにしても夏の日差しは強い。


To:カナ
Sub:RE:Re:RE:
世話はしてない。
ベランダにほっといたら勝手に咲いた。
というか今日見るまで存在自体忘れてた。


そう書いて返信すると、男はガチャガチャと食べ終えた食器をシンクに運んだ。
食器を洗う事なく珈琲を継ぎ足してキッチンから離れ、仕事用のパソコンを立ち上げる。
携帯電話をキーボードとマウスの間に置いて、パソコンのモニターを見ながら珈琲を啜る。
これが大体の一日の始まり方。
メールが来なければ昼まで寝ていることを除けば。

乱れたベッドとシンクの食器以外に生活感がない、家具の色もそっけないせいで寒々しい部屋だ。
男は自分の部屋に対して他人事のようにそんな感想を持っている。
そんな何とも無機質な空間に携帯だけが温度を持っているように感じる。
このやり取りはいつか途絶えるだろうか、それとも、いつか本人に会うことがあるだろうか。
どちらとなるかは分からないが、今このひととき、男は確かにこの写真付きメールをくれる彼女に癒されていた。