「来なかったね。」
アルバイトの時間が終わった花燈さんは時計を眺めてぽつりと言った。
「そうですね。」
それが誰を指しているのかは訊かなくても分かることだったので、僕はそう答えた。
「最近はめっきり来なくなっちゃったねぇ。」
少し詰まらなさそうに呟く花燈さんに僕はどう応えれば良いのか分からず、グラスを磨く作業を繰り返した。

「うん、でも良いことなのかも。…あ、お店的には良くないけど。」
暫く黙っていた花燈さんはそんなことを言い、ぺろりと舌を出して笑った。
「でも、またきっと来ると思う。此処でちょっと休憩して行きたいなって日はきっとあるもの。」
花燈さんはそんなことを優しく言った。
僕は、此の店がそういう場所だとすれば、それはとても嬉しいと思う。
「そうですね、何かの時に思い出してもらえると良いです。」
明日が今日と同じではないと思いたい時に。
いつか、彼に言った言葉を思い出して、僕はそう思う。
花燈さんが飲み終わったポットとティーカップをカウンターから差し出し、僕はそれを受け取る。
相変わらず友人との交流に忙しい彼女は、慌ただしくコートを着込み、「また明日!」と元気に挨拶をして店を出て行った。

晩秋の空はまだ僅かばかりに柔らかさを孕み、今年は暖冬だろうか、なんて話が店内のあちらこちらで聞かれる。
彼は今日という日を何処かで幸せに過ごしているだろうか。
今日という日は一年間に今日しかないけれど、次に店に来たときには、今日の分のサービスをしたいなと思う。
どれだけ足が遠のいたとしても、再び来てくれるならば僕には嬉しいことなのだから。

彼にとって、明日が今日と同じではないと思える日々が繰り返されていますように。
そう願いながら、僕は高瀬君が差し出すオーダー表に目を落とし業務を再開した。