悲しみを断ち切る方法




「ねぇ、大丈夫?」
天使は青年の肌が赤く腫れてることに気付いて、声をかけた。
秋の昼下がりに柔らかな日差しを堪能していた青年はその美しい顔を天使に向けた。
「大丈夫だよ。」
ふわりと笑んだ顔は青年と言うよりは女性的に見える。
天使はその言葉を聞いても心配そうに首を傾げた。
「別れたの?」
「うん、また近々、忙しくなるからね。」
天使の問いに淀みなく答えるその姿が、天使には痛々しく感じられた。
「待っててって言えばいいのに。」
「帰らないかも知れないのに?僕は、出来ない約束はしないよ。それにこれはこれで気に入ってる。」
悪くないよ?と笑う青年の気持ちを理解出来てしまう天使は静かに笑い返した。
「君こそ、いいの?」
緩く笑って言われ、天使はくしゃりと笑顔を歪めた。
「だって、あの世界ではオレは認識されないもの。もし、されても、自由の許されない想いに耐えられる程、オレは強くないよ。」
「でも、宿主は許してくれるだろうに。」
軽く笑って、青年は言った。
「だから、だよ。その度に傷付くとしても、オレらの盾になって、何事もなかったように振る舞うんだ。それでいいのかも知れない、今までもそうだったから。でもオレは傷付くんだ。」
天使の思う以上に強い意思を見た青年は眩しそうに目を細める。
激情を戦場に置いてきてしまった青年には持ち得ない感情なのかも知れない。
「それに、いくら理解してくれても我慢させることにはかわりないしね。想いを交わしてしまったら、訪れる別れの日に怯えて、幸せを願いながら共に生きていく人に嫉妬しなきゃいけない。彼が他の人を選ぶ事は分かってるし、そうなればやっぱり嫉妬してしまうけどね。」
笑って天使は言った。
何度そうして想いを諦めたのだろう、と不意に青年は思った。
天使を気が多いと厭う者もいるが、青年は一人をただ想い続けることよりずっと現実的な生き方だと思っている。
傾国の、という表現こそがもっとも似合う天使は、傷付いたり傷付けたりしながら、それでも愛を求める。
貪欲なそれが、青年には少し羨ましくもある。
金髪の少女に呼ばれたのをきっかけに話は終わった。
離れていく天使をぼんやりと眺めていると、視界に黒が映る。
「何て顔してんだ。」
黒衣の男は苦笑して呟き、青年の視界をその手で塞いだ。
青年は、図らずもはりつめていた神経に気付いて、その手の下で目を閉じた。
「お前は泣き方しらないからな。」
独り言のように男が呟いても青年は応えなかった。
ただ、長い溜め息をついた。
そうしてゆっくりと青年が色々な事を消化していくのを知っている男は、左手だけで器用に煙草をくわえた。
やがて金髪の少女がお茶の時間だと告げるだろう。
夜が訪れる頃には、戦場へ立つ為に支度をせねばならない。
憂いは、今この時に置いていかねばならない。
青年は、またひとつ溜め息をついて、その紅い唇を笑みの形に結んだ。
男はその美しい口元を見てはいなかったが、筋肉の動きから察したのか、その手を外した。
青年は軽い動作で立ち上がる。
「生きて、帰れるかな?」
「俺が出るからには、敗けはしない。」
不敵に笑う男に、花も恥じらう程綺麗な笑顔で笑い返すと、青年はぐっと伸びた。
さっきより明るく感じる世界は、色々諦めるにはまだ早いのかもしれないと思い付いて、青年はまた笑った。
「ね、世界に絶望したことは?」
男を振り返って青年は聞いた。
「何度も。」
男は紫煙を吐き出しながら応えた。
「世界を諦めたことは?」
「一度も。」
にや、と笑った男は、近くに置かれた灰皿に短くなった煙草を擦り付けた。
青年は返答に喜んで、やはり花咲くように笑った。
「世界を諦めるより多くの世界が待ってるさ。」
金髪の少女の呼び声に軽く手を上げる事で応えた男は言った。
窓から見える世界は、やはり、明るかった。