人形の涙




この城のある場所の時間は確かに狂っている、が、それは此処の住人にも適応されるものではない。
時間の制約を受ける者は、この城にあってもやはりそれは変わらず、いつか朽ちゆく。
ただ、それを忘れるほどに長いような短いような時間を生きているというだけのことだ。
終わった命を送りながら、私はそう考えた。
忘れるほど長い時間、確かに彼女は生きた。
そして昨日、その終わりを迎えた。
分かっていたことだ。死が訪れる事は。
彼女と親しくした住人達は皆、涙を流した。
彼女は愛されていた。
彼女が愛しただけ、住人たちも彼女を愛していた。
だから彼女の死を悼む者がいる。
皆哀しみ、暫しの追悼の時を過ごすのだ。
ただ一人を除いて。
「涙を流すようには、創られていません。」
そっと懺悔するように人形は呟いた。
流す涙があれば哀しいというわけではないことを人形は知っている。
人形は悲しみを知っている。
恐らく、ただ涙を流せない事が今の人形には苦痛なのだろう。
私は、それでも涙を流せないように作った人形の創造主は或いは優しいのだろうと思った。
流す涙は持たずとも人形は泣いていた。
流す涙を持たぬ分、この人形は彼女を忘れぬのだろう。
一粒の記憶も零さずに、鮮明に、人形の記憶は、褪せない。
他の者が泣いた分だけ取りこぼしていくというわけではない。
ただ記憶というものは劣化し、風化する。
人形は誰かがその記憶を消さない限りは記憶を持ち続ける。
一寸も狂わず、ありのままを覚えていられる。
美化もされず劣化もされず風化もされず記憶される事が、正しい事というわけではないが、忘れられないという事は何処か救いにもなるだろう。
だから、たとえ涙がなくても、それだけでいいのではないか。
否、劣化せぬ記憶を持ちながら、この人形に涙を持たせるのは酷ではないか。
だから、人形の創造主はあえて涙を持たさなかったのかもしれない。
私にその優しさはない。
記憶が薄れ得ぬ分、痛みが褪せぬという事実を知っても、私は恐らくは涙を与えるのだ。
そして私の創造物は、痛みの中で生きていくのだろう。
私に、奪う優しさはない。
「君の創造主は、優しいな。」
するりと零れた言葉に、人形は目を見張り、そして困った顔をした。
全く、美しく生きたような造詣である。
その感情も。
「そうでしょうか。」
人形は聞いた。
「私はそう思うがね。」
そう答えると、人形は笑んだ。
「それならば、感謝しなくてはなりませんね。私は。」
泣かない代わりに、その記憶の中の彼女に微笑むのかもしれない。
その微笑すら作り物の人形は、それでも美しく慈悲深く笑んだのだった。